モードとシルエット変遷 part.2

≪1940〜1960年代≫


●1940年代
〜ニュールック誕生〜

1945年に戦争が終わると、パリではすぐにオートクチュールコレクションが復活し、1947年にはクリスチャン・ディオールがデビューします。
贅沢に布を使った女性らしいシルエットのドレスは、戦争でおしゃれ心を忘れかけていた女性に強いインパクトを与えました。


〜代表デザイナー クリスチャン ディオール
クリスチャン・ディオールは、1946年にメゾン設立。翌年発表した作品が「ニュールック」として大流行し、第二次世界大戦直後の世界中の女性に夢を与えました。

以降10年間、Hライン、Aラインといった優雅で洗練された女らしいスタイルを次々とパリから世界へ発信し、1950年代モードをリード。
ディオールの死後、イヴ・サンローラン、マルク・ボアン、ジャンフランコ・フェレがクチュリエとして活躍し、現在はジョン・ガリアーノがデザイナーを務めています。

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●1950年代
〜バブルドレスからサックドレスまで〜

これ以降1950年代は、パリのオートクチュールが世界のファッションに多大な影響を与えます。
立体裁断の技術で知られるクリストバル・バレンシアガやオードリー・ヘップバーンの映画衣装で知られるユベール・ド・ジヴァンシーなど、きら星のごとく男性デザイナーが活躍します。

彼らは女性の理想像を服で追及し、美しく構築的なシルエットを生み出しました。
ただし、これらは社会進出した女性には支持されず、引退していたシャネルが戦前同様の着やすい服でカムバック、男性デザイナーも機能的なデイドレスを提供していくこととなります。

ディオールがデビュー10年で急逝すると後を継いだイヴ・サンローランが、1958年に台形でウエストをしぼらない若々しいデザインで脚光を浴びます。ロンドンではマリー・クワントが若い女性向けの商品で人気となりました。

〜代表デザイナー クリストバル・バレンシアガ〜
バルーンスカートのドレスを発表。「はさみの魔術師」と呼ばれ立体裁断を得意としたバレンシアガらしい、巧みなカッティングが施された構築的な一着です。
クリストバル・バレンシアガは、スペインで高い評価を得た後、1937年パリにメゾン開設しました。
1950〜1960年代、厳密なカットと縫製技術により、バルーンシルエット、チュニックドレスといった革新的なフォルムを次々と生み出します。
デイドレスのスーツも秀逸で、その後のスーツの原型となりました。パリ・オートクチュールの黄金期を築いた巨匠の一人でもあります。

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●1960年代
〜ジオメトリックラインのコスモルック〜

戦後復興を果たした1960年代には、技術革新が進み大衆の購買力も高まり、大量生産大量消費が加速されます。

カラーテレビも登場し、かつてない情報化時代がやってきました。大衆文化が花開き、中でも若者向けのファッションであるミニスカートやTシャツ・ジーンズなど、かつてない自由でユニセックスな服装の時代となります。
シンプルな服の流行は、ファッションビジネスの世界でも大量生産大量消費の既製服全盛時代を推し進めたのです。

ストリートではすでに広まりつつあったミニスカートをアンドレ・クレージュオートクチュールで初めて発表し、ピエール・カルダンやサンローランは、プレタポルテ(高級既製服)ブランドを開発。

パコ・ラバンヌは金属やプラスチック板で、宇宙的で露出度の高い作品を発表。それらはいずれもウエストを締め付けない単純なシルエットのミニのワンピースでした。

アメリカではルディ・ガーンライヒが、女性の解放感をアヴァンギャルドな作品で表しました。
ベトナム戦争アメリカの北爆が1965年に始まると、それに反対するヒッピーのライフスタイルが世界の若者に影響を与えます。

彼らは、アメリカ的、西欧的、キリスト教的な価値観に異議を唱え、さまざまな民族衣装や古着の重ね着、Tシャツにジーンズ、素足にサンダル、伸ばし放題のひげと髪といった反社会的な風体をしました。
これらはヒッピーファッションとして消費されていくこととなります。
彼らのドラッグ文化はサイケデリックアートを花開かせ、これもファッションに取り入れられるように。
エミリオ・プッチの派手なプリント柄も人気でした。

〜代表デザイナー ピエール・カルダン
ピエール・カルダンは、1950年パリにメゾン開設。
1960年代、特に1964年の「スペースエイジ」など斬新なアイディアと宇宙的なデザインで一時代を画します。そのデザインは飛行機、劇場、レストランなど多方面に広がり、企業家としての活躍も有名。


〜代表デザイナー アンドレ・クレージュ
クレージュ・スタイル」と呼ばれるパンタロンスタイルのスポーティで機能的なデザインを発表。
アンドレ・クレージュは、1961年パリにメゾン開設。1965年オートクチュールとして初めてミニスカートを発表、ミニ旋風を起こします。
未来的なデザイン、セカンドスキンというコンセプトのモダンで若々しい作品は、世界的に大きな影響力を持ちました。


〜代表デザイナー パコ・ラバンヌ〜
パコ・ラバンヌは、1966年春夏コレクションでプラスチックの小片を針金でつないだ未来感覚のドレスを発表。
保守的なオートクチュール界に変化をもたらしました。金属や紙など、布以外の素材の服で「モード界のカーペンター」の異名を持っています。


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